編み物を始めたら、心が整った話。祖母から受け継いだ、同じことの繰り返しの豊かさ
編み物をするようになって、何年か経つ。 始める前は、こんなに長く続くとは思っていなかった。 編み物を始めたきっかけ 祖母が、編み物をする人だった。 子どもの頃、ベストを編んでもらった記憶がある。布団カバーも、祖母の手作りだった。 当時はそれが特別なことだとは思っていなかった。 でも今になって気づく。あれは、とても手のかかるものだったのだと。 一目一目に、時間と愛情が込められていた。 母も昔は編んでいた。若い頃の写真に、手編みのセーターを着た姿が残っている。 でも今はもうやめてしまって、棒針もかぎ針も、どこかにしまわれたままだ。 わたしが編み物を始めたのは、以前住んでいた街がきっかけだった。 最寄り駅の近くに、小さな毛糸屋さんがあった。 ショーウィンドウに飾られた色とりどりの毛糸と、丁寧に編まれたサンプル。 ある日ふらりと入った。それが始まりだった。 その後、教室に通い始め、引っ越してしまった今も、時折足を運んでいる。 やってみて気づいたこと 編み物は、繰り返しだ。 編み始めと編み終わりに少し集中が必要なだけで、あとはひたすら同じことの繰り返し。 棒針なら表目と裏目、かぎ針なら細編みや長編み。 最初は単調に感じるかもしれない、と思っていた。 でも実際にやってみると、まったく逆だった。 その繰り返しが、心を整えてくれる。 ざわざわしているとき、頭の中がうるさいとき。 手を動かしていると、少しずつ落ち着いていく。 考えすぎていたことが、ほどけていく。 祖母が毎日のように針を動かしていたのは、きっとそういうことだったんですよね。 できあがったときの喜びも、格別だ。 世界にひとつだけの、自分だけのもの。 市販のものではなく、自分の手でつくったものを身につける感覚。 うまく言葉にできないけれど、静かな満足感がある。 それから、色との出会いもある。 毛糸屋さんに並ぶ糸は、日常ではなかなか手に取らないような色ばかりで。 くすんだテラコッタ、深い森の緑、少し紫がかったグレー。 編み物を始めてから、自分が選ぶ色の幅が広がった気がする。 もうひとつ、完全に個人的な感想なのだけれど。 編み物をしている人には、いい人が多い。 教室で出会う人も、糸を選んでいる隣のお客さんも、どこかおだやかで、人の話をちゃんと聞いてくれる。 手を動かすことで、何かが育まれるのかもしれない。 そして、手編みのものを身につけていると、たまに気づいてくれる人がいる。 「それ、手編みですか?」と声をかけてくれる人。 そういう人は、決まってとてもいい人だ。 これも個人的な法則だけれど、今のところ例外がない。 実は経済的でもある 編み物には、もうひとつ知られていない魅力がある。 経済的なのだ。 毛糸はほどくことができる。編み直せる。 着なくなったセーターも、毛糸に戻して別のものに生まれ変わらせることができる。 教えてくれているマダム先生は、実際にそれを実践している。 長袖のセーターを、季節が変わったら半袖に。さらに暑くなったらノースリーブに。 同じ糸が、形を変えながら長く使われる。 初めて聞いたとき、目から鱗だった。 ただ、そのためには先行投資の考え方が大事だ、とも教わった。 安い糸は、何度もほどいたり編んだりしているうちに傷んでしまう。 最初からトラディショナルで良質の糸を選ぶこと。 それがマダム先生の変わらない教えだ。 確かに、良い糸は高い。 でも長く使えて、ほどいて編み直せるなら、結果的には安上がりになる。 そう考えると、納得がいく。 編み物が、わたしに教えてくれたこと わたしにとって編み物は、心を整える時間だ。 同じことの繰り返しの中に、静けさがある。 できあがったものの中に、時間が積み重なっている。 祖母が編んでくれたベストのことを、わたしは今でも覚えている。 形はなくなっても、あの温かさは残っている。 わたしが今編んでいるものも、誰かの記憶の中に残るといい。 そんなことを思いながら、今日も針を動かしている。 詳しい編み方や道具については、あみフル(近日公開予定)で書いていきます。乞うご期待!